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アンドレア・ピルロ
Andrea Pirlo

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アンドレア・ピルロ Andrea Pirlo

アンドレア・ピルロ

1979年5月19日、イタリア・ブレシア県フレーロに生まれる。

1995年に地元ブレシアでセリエAデビューを果たした後、インテル、ACミラン、ユヴェントスというイタリア三大ビッグ・クラブを渡り歩く。
その後2015年には、MLSのニューヨーク・シティFCに移籍を果たした。

イタリア代表でも2002年に初選出されて以降、中心的選手として活躍を果たし、中でも2006年FIFAワールドカップでは3度のマン・オブ・ザ・マッチに輝き、イタリアの優勝の原動力となった。

ポジションはミッド・フィルダー。
相手チームのマークが集中するトップ下のポジションを務めるにはフィジカルが脆弱であったこと、ロベルト・バッジョやルイ・コスタといったスター選手がチーム・メイトとしてトップ下に君臨していたこと等から、中盤の底のポジションで長短合わせた正確無比なパスと、芸術的なフリーキックを武器に攻撃の指揮を執る”レジスタ(演出家)”のスタイルを確立した。

こうしたキャリアから、サッカー選手としては既に伝説的な扱いを受けているピルロだが、そんなピルロがサッカーに負けず劣らず愛情を注ぎ続けているのがワイン。
その愛情は、NIKE社製の自身のモデルのスパイクに、ワインの色を採用するほど。
そんなワイン愛好家でもあるピルロが、2007年に地元ブレシアの農園を買い取り、自らの手で創設したワイナリーが"プラトゥム・コーレル(PRATUM COLLER)"である。

"閃きで試合に火を点ける、それがファンタジスタだと思う。"(アンドレア・ピルロ)

"レジスタが“本来の僕のポジション”だったということが一つ。もう一つの理由は、素晴らしい監督に出会えたからだろうね。彼らは、僕がレジスタで機能すると考えただけでなく、勇気を持ってレジスタのポジションに僕を据え、使い続けてくれた。監督の立場からすれば、フィジカルとパワーに欠ける僕を中盤の底に据えるのは相当の勇気が必要だったはず。もちろん、一朝一夕でレジスタとしての居場所をつかんだわけではないし、日々の練習を通じて成長し続けたことも理由の一つだと思う。"(アンドレア・ピルロ)

"もうちょっと体重があればとか、筋肉をつけるべきだなんて思うこともある。 ただ、筋肉を増やしたら、その分だけプレイのキレが失われるかもしれない。そう考えると、やっぱり、今の自分が一番良いという考えに収まる。そう、僕は今の自分が一番好きなのさ。"(アンドレア・ピルロ)


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